ノッポさんの歴史ぶらり旅 (毎月最終週)
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日本語放送校閲委員のノッポさんこと、小須田秀幸さんが、
歴史の舞台となった場所やゆかりの場所をぶらり訪ね歩きます。
歴史ぶらり旅のコーナーのページが移転しました。
2021年10月分からはこちらをクリックしてください。
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2020-02-29
KBS WORLD Radio
独立門と西大門独立公園
西大門(敦義門)に近いこの場所は、かつて中国からの使節を国王自らが出迎えた「迎恩門」と迎賓館の「慕華館」があり、中国への従属を象徴する場所だった。今は「3.1独立運動」を記念する拠点となり、「日本からの独立」を象徴する場所と受け止められている。
独立門と徐載弼(ソ・ジェピル)の銅像
徐載弼は迎恩門を取り壊し独立門を建設することを計画、独立協会を創立し民間の寄付で資金を用意した。当時は国王がロシア公使館から政治を行っていた「俄館播遷」の時期で、徐載弼はどこの国にも影響されない「自主独立」の理念を独立門の「独立」に込めた。
独立門と慕華館(門の右手前に見える中央の建物)
徐載弼が米国に追放され、独立協会が強制的に解散されると独立門と慕華館一帯は国有化された。その後1904年、独立協会幹部の尹始炳(ユン・シビョン)が国から買い取った。
大門独立公園に再建された「独立館」
慕華館は徐載弼によって「独立館」と改名され、独立協会や万民共同会の集会に使われた。 尹始炳によって買い取られたあとは、尹始炳や宋秉畯(ソン・ビョンジュン)らが結成した親日団体「一進会」の事務所兼集会場として使われた。
年当時の独立門
1910年、日本の韓国併合で 一進会は政治活動を禁止されて解散。独立門の土地と建物は宋秉畯の個人所有となった。手入れされずに放置され、亀裂ができて、崩壊の危険もあったため、1919年3.1独立運動当時は、周囲が杭で囲まれ立ち入り禁止になっていた。
修理中の独立門(1928年当時)
1920年代、総督府は、「史跡名所天然記念物保存法」に基づく古跡の調査と修復保存を実施、1931年に独立門を正式に史跡に指定した。3.1独立運動後の「文化政治」による同化政策と内地延長主義の一環でもあった。
1独立運動の記念モニュメント
3.1独立運動の「独立宣言文」を刻んだ西大門独立公園のモニュメント。独立運動家らを収監した「西大門刑務所」(この写真の奥)と隣接し、一帯は3.1独立運動の精神を発揚し、「自由独立」を象徴する場所ともなっている。