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コーナー

3・1独立運動とパンデミック

2021-03-28

KBS WORLD Radio

ソウル鐘路区のタプコル公園(旧パゴダ公園)。「3・1独立運動」から102回目の記念式典」は、独立運動ゆかりの地であるこの公園で初めて開催された。


公園の中の八角亭。1919年3月1日、独立宣言書はここで読み上げられた。文在寅大統領は記念式典の演説で100年前に猛威を奮ったスペイン風邪に触れ、「日帝は植民地の民衆を感染症から守らなかった」と日本を非難した。


3・1独立運動の模様を描いたレリーフ。1919年を挟んで前後3年間は、スペイン風邪で人口の40%に当たる740万人が感染して14万人が死亡。その後、蔓延したコレラでは4万人が感染、2万4700人が死亡するなど、パンデミックが猛威を奮った。


スペイン風邪で多くの犠牲者をだした日本統治への不満や、その防疫対策の最前線に立った警察官たちの高圧的で横暴な態度が、全国に広がった独立運動の引き金になったという見方もある。


朝鮮総督府の「コレラ病防疫誌」にはコレラ蔓延の状況について、各地での初発から終息まで、その間の検疫、交通遮断、隔離措置など一連の経緯が詳しく報告されている。さらに予防知識を普及させるための講演会や活動写真上映会などの啓蒙活動にも力を入れていたことが分かる。


警察署の「衛生課」が今の「保健所」の役割を担った。毎日、各戸を訪ねて住民の健康状態を聞く「戸口調査」(左)や旅行者の検疫・採便検査(右)も警察官の役割だった。


仁川(左)と全羅南道霊光郡の市場(右)での予防注射風景。予防注射は無償化して督励したため、1919年には140万人、1920年には680万人が接種を受けた。


文大統領も言及した京城医学専門学校(1916年~)は毎年2~300人の韓国人医師を養成・排出した。歴代校長には著名な細菌学者・志賀潔(在任1920~27)も名を連ねるなど、最新の医学教育が施された。

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