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広島で原爆死した李王家の末裔・李鍝

2020-08-29

KBS WORLD Radio


李鍝(1912~1945)は、高宗の五男・義親王李堈の次男として生まれ、5歳の時に、父の従兄・李埈鎔の養子となり、興宣大院君から数えて4代目の雲峴宮の当主となった。


雲峴宮は興宣大院君が政治を行った場所だが、日本統治時代は「李鍝公公邸」と呼ばれた。1993年ソウル市に売却されるまで、李鍝の遺族の私邸だった。


1925年、雲峴宮に迎賓館として建てられた「洋館」。その玄関前に立つ李鍝。

戦後、敷地の一部とともに女子大学に売却。ドラマのロケ地としても使われた。


前列左から叔父の英親王李垠(終戦時、陸軍中将)、中央は異母兄の李鍵(陸軍大学校教官、中佐)、李鍝。3人は、皇族男子は軍籍につくという日本の伝統に従った。


李鍝は10歳で学習院初等科に入り、陸軍幼年学校、陸軍士官学校を経て、1941年陸軍大学校を卒業。広島で被爆した時は陸軍中佐(教育参謀)だった。


宮内省の発表として李鍝の「広島での戦死」を伝える新聞。李鍝は、爆心地から710mの地点で被爆、その日の夕方、捜索隊によって発見、翌未明に死亡した。


李鍝の遺体は輸送機で故国に運ばれ、京城運動場で陸軍葬として通夜と告別式が執り行われた。8月15日、無条件降伏の「玉音放送」から1時間後の葬儀だった。


「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」は、李鍝が瀕死の状態で見つかった広島市本川橋にあったが、のちに平和公園に移設された。「李鍝殿下ほか二万余の霊を祀る」と刻まれている。

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