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「甲申政変」の現場として残る「郵征総局」

2020-07-25

KBS WORLD Radio


ソウル鐘路区にある「郵征総局」の建物は、韓国最初の「郵便事業」発祥の地であり、1984年12月4日、開化派が起こしたクーデタ「甲申政変」の開始を告げる歴史の舞台となったことで知られる。


この日の夜、政権の要人や外国公使らが招かれ「郵征総局」の開設を祝う祝宴が開かれた。その途中、近くの民家が放火され、急を聞いて王宮に駆け付けた守旧派の閔氏一族の閣僚らが凶刃に倒れた。


いま逓信博物館となっている建物は、甲申政変のあと閉鎖され、実際に郵便事業が始まったのはその10年後の1895年。「郵征総局」総裁が政変の首謀者であり、犠牲者だったからだ。


朝鮮郵便事業の創始者として博物館に展示されている洪英植像。当時28歳の開化派の若手官僚で、クーデタ後に発足した新政権では、副首相格にあたる「左議政」に就任。その翌日、兵に殺害された。


洪英植(前列左端)は、国王高宗の信頼が篤く、日本や米国への親善視察団の一員として派遣されている。1881年の日本訪問では、「近代郵便制度の父」前島密に会い、郵便制度の実際を学んだ。


1883年、親善視察団の副使節として訪米した洪英植(前列右)。ニューヨークでは郵便局の実際を体験した。帰国後、郵便事業の創設を国王に提案して認められ、自ら郵征総局総裁に就任した。


 郵便事業の開始を前に、洪英植が日本に印刷を依頼して準備した韓国初の郵便切手。5文から100文までの5種類で、国名は「大朝鮮国 COREAN」となっている。


甲申政変は、清国軍の介入によってわずか3日で失敗。写真右から金玉均(当時33歳)、徐載弼(20歳)、徐光範(25歳)、朴泳孝(23歳)らは、政変後、日本やアメリカに亡命した。


ソウル中央郵便局前の洪英植像と記念切手。洪英植は国王を護衛して王宮を離れる途中、清国軍に殺害された。甲申政変の首謀者として家族全員が処刑され、家宅は没収。しかし彼の名と業績は「郵政事業の創始者」として今も刻まれている。

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