メニューへ 本文へ
Go Top

ピープル

映画監督、コ・ヒヨン

2016-12-06

黒いウェットスーツに身を包んだ女性たちが波が押し寄せる海に飛び込み始めます。手に持っているのはアワビおこしとも呼ばれる磯ノミなど魚介類を採るための小さな道具のみ。素潜りです。素潜りで深い海に入っていくこの女性たちは済州島(チェジュド)の海女たちです。済州の海女文化の歴史は古く、高麗時代、1145年頃に書かれた歴史書「三国史記」に真珠を採っていたという記録が残っていることから6世紀頃から続いてきたと推定されています。長い間、母から娘へ、姑から嫁へと受け継がれてきた済州の海女文化は、11月30日、ユネスコ無形文化遺産への登録が決まりました。

誰よりも強い母性と生命力を持った済州の海女たち。ユネスコ無形文化遺産に登録される前からその存在に注目していた人がいます。映画監督のコ・ヒヨンさんでした。今年50歳、済州生まれの映画監督、コ・ヒヨンさんは2008年から7年間、済州島の隣の小さな島、牛島(ウド)にとどまりながら済州の海女の暮らしと人生を観察し、映像に収めていきました。さらに1年以上の編集作業を経て、今年、ドキュメンタリー映画「ムルスム、水の息」を発表したのです。

20年間、時事問題を扱う番組の放送作家として、また、100本あまりのドキュメンタリーを撮ったプロデューサとして誰よりも情熱的に生きてきた映画監督、コ・ヒヨンさんが済州の海女に関心を持ったのには特別な理由がありました。40歳になった年、2008年に癌を宣告され、やるせない思いで故郷の済州に向かいました。故郷、済州に戻ったコ・ヒヨンさんは毎日、海に出かけ、ただ呆然と打ち寄せる波を見つめていました。済州の海を見つめていた彼女の目に、ふと素潜り漁をしている海女の姿が映りました。海女特有の呼吸法、磯笛が聞こえた瞬間、コ・ヒヨンさんは生命の音だと思いました。いつ自分の命を奪うかも知れない海に潜っている海女たちの姿、生き方に魅了され、その人生を映像に収めようと決心したのです。



20年間、さまざまなドキュメンタリーを撮りながら取材には自信があったコ・ヒヨンさん。済州出身ですから、済州地方の方言も問題になりませんでした。自信満々だったコ・ヒヨンさんはカメラを手に、済州の海女の中でも一番たくましいといわれる牛島(ウド)の海女たちを訪ねました。ところが牛島にいる360人ほどの海女は一人もインタビューに応じてくれませんでした。海女にとって海は生存の場ですが、同時に恐れの対象で、その心中をさらけ出したくなかったのだと知ったのは、かなり時間が経ってからでした。取材を拒まれたコ・ヒヨンさんは、取材よりも先に海女たちとの交流、心の通い合いが必要だと思いました。

済州の海女の人生を取材するため、パンを手に家を訪れたり、簡単な作業を手伝ったりしながら待ち続けたコ・ヒヨンさん。2年が経った冬のことでした。海から出て焚き火でカラダを温める海女たちの側にじっと立っていたコ・ヒヨンさんに海女たちが声をかけます。取材の承諾でした。

一見、同じように見える海女たちの間にも階級があります。一度潜ると2分ほど海中に留まるベテランの海女は上群、次いで中群、下群へと続き、それぞれのレベルに合った深さまで潜って魚介類を採ります。しかし、大きなアワビなどを見つけた時、欲を出して海から出るタイミングを逃すと、息をこらえ過ぎるため気を失い、死に至ります。海女たちはこれを「ムルスム=水の息を呑み込んだ」といいます。済州の海女たちに溶け込んで7年を過ごした映画監督コ・ヒヨンさんは、 映画のタイトルを、海女たちを死に至らせる「ムルスム」=水の息と決めました。

済州での撮影を終えた今も、コ・ヒヨンさんは、絶えず自分の息に合った海で泳いでいるか振り返っています。欲の果てには必ずムルスム=水の息が待っているという海女の教えを忘れないためです。そして、その貴重な教えを伝えてくれた済州の海女の話を映画「ムルスム」を通じてより多くの人と分かち合いたいと願っています。

おすすめのコンテンツ

Close

当サイトは、より良いサービスを提供するためにクッキー(cookie)やその他の技術を使用しています。当サイトの使用を継続した場合、利用者はこのポリシーに同意したものとみなします。 詳しく見る >