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ピープル

舞踊家、キム・メジャ

2016-11-22

10月4日、ソウルの西大門区(ソデムンク)にあるポスト劇場で、創舞会創立40周年を記念するイベント「創舞大祭典」が開かれました。創舞会とは、創作舞踊研究会の略称で、韓国の伝統舞踊をベースに、新しい舞踊作品を作り出し、研究している舞踊団です。年末まで、24回の公演が予定されている「創舞大祭典」では、創舞会出身で、現在、韓国の舞踊会の中心となっている振付師20人の舞台が披露されます。

これまで40年間、創作舞踊研究会=創舞会は、韓国の伝統舞踊に、美術、詩、建築、小説、写真など、さまざまなジャンルの芸術を取り入れ、いつも新しい舞台を演出してきました。舞踊家や振付師にとっては緊張の連続ですが、実力をつけ、それぞれの分野で成長できる最高の舞台といえます。韓国の創作舞踊を率いてきた創舞会の中心には舞踊家、キム・メジャさんがいます。



1943年生まれ、今年73歳になったキム・メジャさんは韓国の創作舞踊になくてはならない存在です。彼女は、1970年代、裸足で舞台に上り、1985年にはアジア人としては初めて、アメリカのダンス専門雑誌「ダンスマガジン」の表紙モデルになり、韓国とロシアの間に国交が樹立する前にロシアの劇場で公演するなど、さまざまな話題を巻き起こしてきました。

北韓生まれのキム・メジャさんは1950年に勃発した韓国戦争の戦禍を避け、家族といっしょに、叔父のいる韓国の江原道(カンウォンド)に避難しました。江原道に落ち着いたキム・メジャさん。舞踊についてまだ何も知らない状態でしたが、カラダを動かして踊るのが大好きでした。江原道の小学校を卒業し、兄のいる釜山(プサン)の中学校に進んだ彼女はの夢は韓国のオペラ、唱劇の俳優になることでした。唱劇に必要なパンソリと演技、舞踊を習うため、3年間、釜山にあった民俗舞踊研究所に通いながら、舞踊の魅力を知ったキム・メジャさんは伝統舞踊だけでなく、バレエ、モダンダンスまでマスターしていきます。キム・メジャさんはすでに舞踊家の道を歩みはじめていたのです。大学でも伝統舞踊を専攻した彼女は、1972年、母校、梨花(イファ)女子大学の教授になります。

教授になって4、5年が経った頃、「舞踊も芸術の一つなのに、なぜ社会現象や時代状況などを映し出すことができないのか」という点について悩むようになったキム・メジャさんは、弟子たちと舞踊研究チームを作ることにしました。踊るだけの舞踊団ではなく、時代や社会を映し出す舞踊を作り出し、同時に韓国舞踊の理論を研究するチームという意味を込めて創作舞踊研究会、略して創舞会を立ち上げました。1976年に設立された創舞会の目標は大きく2つ。まだ完成されていない伝統舞踊の理論体系を構築し、変化のない伝統舞踊の枠を越えて伝統的な形式をベースにした新しい韓国の舞踊を作り出すことでした。

伝統舞踊をベースにした新しい舞踊を作り出すにはかなりの実力が必要でした。そのため、初期の入団資格はかなり厳しく、そんな厳しい基準をクリアして入団した団員は実力だけではなく、それぞれ強い個性と大きな夢を持っていました。キム・メジャさんは個性の強い団員の意見に耳を傾け、みんなが納得できる結論を出すまで待ちました。こうして生まれた作品が舞台に上った時は爆発的なエネルギーを発揮したのです。

1985年、創舞会は小さな舞踊専用劇場を作り、美術や詩、音楽など、さまざまなジャンルの芸術と舞踊を融合させた公演を披露してきました。1993年には家を取り壊し、舞踊図書館をはじめ、練習室、教育施設、公演場などがある7階建てのビルを建てました。また、23年前からは舞踊専門雑誌「モム=カラダ」も発行しています。踊りが終わった瞬間、煙のように消えてしまう芸術、舞踊に関する話を文字や写真で残すためでした。

73歳になった今も、毎日のトレーニングを怠らないキム・メジャさん。創舞会創立40周年を記念するイベント「創舞大祭典」の12月27日の公演ではキム・メジャさんが舞台に上ります。この舞台で彼女は創舞会が40年間、研究してきた舞踊を披露し、その動きを通して胸の奥に秘めておいたメッセージを伝えたいと考えています。この公演を創舞会だけではなく、韓国の創作舞踊界の跳躍の礎にしたいと願うキム・メジャさんの情熱は韓国の舞踊界を活気づける良い刺激となっています。

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