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ピープル

ミュージカル制作者、シン・チュンス

2016-11-15

11月8日、ソウルの清潭洞(チョンダムドン)でミュージカル「ジキルとハイド」ワールドツアーの制作発表会が行われました。二重人格の主人公が繰り広げる奇妙な事件とそんな主人公を愛する二人の女性の悲劇的なロマンスを題材にしたミュージカル「ジキルとハイド」。同名の小説を原作とするミュージカル「ジキルとハイド」は世界各国で制作され、多くの人に愛されている作品です。しかし、今回、韓国のミュージカル制作会社、オーディ・カンパニーが企画した「ジキルとハイド」ワールドツアーには特別な意味があります。これまで韓国で海外のミュージカルを公演する場合、外国の制作スタッフが指揮する作品に、韓国の俳優が参加する形で進められてきました。一方、オーディ・カンパニーが制作した「ジキルとハイド」ワールドツアーは韓国の制作チームが中心となって演出する作品に外国の俳優が出演する方式を取っています。


ミュージカル「ジキルとハイド」ワールドツアーを企画したのはミュージカル制作者、シン・チュンスさんです。子どもの頃から感性豊かで、映画を観た後は長い時間、その余韻にひたっていたシン・チュンスさん。そんなある日、イタリア映画「自転車泥棒」を観たシン・チュンスさんは映画監督になろうと決めます。1988年、21歳になったシン・チュンスさんは
助監督として映画界へのデビューを果たしました。ところが時間が経つうちに、映画制作に関する知識がないまま、一日も早く監督になりたい、自分の映画を作りたいという性急さが
シン・チュンスさんを疲れさせました。長い時間、自分の持つ能力と高い理想の間で悩んでいたシン・チュンスさんは、結局、映画制作をあきらめることにしました。そんな時、「愛は雨に乗って」という創作ミュージカル公演チームからいっしょに働いてみないかという声がかかります。

好奇心をそそられて参加したミュージカルにシン・チュンスさんは映画とは違う魅力を感じました。ライブで進められるミュージカルの舞台は、完成した映画とは違って毎日変化し、生気に満ちていました。制作現場で働きながら、ミュージカルの基本を学んでいったシン・チュンスさんは自分だけのミュージカルを作りたいと思いました。30歳になったシン・チュンスさんは独立し、ミュージカル制作会社、オーディ・カンパニーを設立したのです。オーディはオープン・ザ・ドアの頭文字を取ったもので、扉を開き、世界に向かって歩み出るという意味が込められています。オーディ・カンパニーが手がけた最初の作品は、シン・チュンスさんをミュージカルの世界に導いた作品「愛は雨に乗って」でした。

1995年に初演された「愛は雨に乗って」は、2001年、シン・チュンスさんバージョンに生まれ変わり、1年間にわたるロングランを記録しました。その成功に勇気づけられたシン・チュンスさんは、1年後、2番目のミュージカル「リハーサル」を舞台にのせます。結果は惨敗。成功の甘さと失敗の苦さを味わった2年間でした。しかし、シン・チュンスさんの挑戦は終わりませんでした。3番目のミュージカル「グリース」は2003年の初演以来、2千回以上上演され、シン・チュンスさんが率いるオーディ・カンパニーの代表作となっています。
シン・チュンスさんの挑戦は、2004年に制作したミュージカル「ジキルとハイド」へ続きます。2004年、シン・チュンスさん風に脚色した「ジキルとハイド」は1年間の延べ観客数90万人を記録しました。

韓国での成功をもとに、2009年、プロデューサーとしてブロードウェー進出を果たし、ブロードウェーでもその実力を認められたシン・チュンスさん。彼は、今、これまで積み上げてきたノウハウを活用し、韓国のプロダクションが中心となるミュージカル作品でワールドツアーを企画しています。その最初の作品が「ジキルとハイド」なのです。

どんな時も新しい目標に向かって進み続け、失敗を恐れないシン・チュンスさんのこれからの挑戦と活躍が楽しみです。

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