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ピープル

抽象画家、イ・ガンウク

2016-01-19

1月7日の午後、ソウルの都心、鐘路(チョンノ)にあるアラリオギャラリーで、イギリスでの留学生活を終えて7年ぶりに帰国した抽象画家、イ・ガンウクの個展が開かれました。1976年生まれの抽象画家、イ・ガンウクは大学院を卒業した2001年「韓国絵画大典」での大賞受賞をはじめ、韓国の権威ある美術賞を総なめにし、韓国の抽象絵画を導いていく若手の画家として注目されます。

子どもの頃から絵が好きだったイ・ガンウク。内気な性格だった彼は友だちと遊ぶより、スケッチブックとクレパスで絵を描きながら静かに遊ぶのが楽しかったといいます。初めて絵を描いたのは6歳の頃で、小学校に入ってからは周りの勧めで有名な画家のアトリエで個人レッスンを受けながら本格的に絵を習いました。



弘益(ホンイク)大学絵画学科に進学した彼は、目に見えるすべてをキャンバスに映し出し、夢のような毎日を送りました。大学3年生の時、イ・ガンウクを指導していた教授は「私は誰か」という質問を投げかけ、キャンバスに自分を描き出すように指示します。教授の質問に対して、イ・ガンウクは生物的な接近をしてみました。つまり、体を構成している細胞微粒子、その中に現在の自分と未来の自分を決定づける情報がすべて含まれていると考えたのです。そして、人体を構成する最小単位、細胞をのぞいていくと、ごく小さな空間の中に宇宙のような広い世界があることに気付きました。美術家の目に、絶えず分裂しながらうごめく細胞は、広い宇宙空間に見えたのです。画家、イ・ガンウクはその姿をそのままキャンバスに描きました。さまざまな形の円を重ね、小さな粒のように見える細胞を繊細に表現していきました。このように具体的な対象とテーマがあったため、イ・ガンウクの抽象画は、絵を知らない一般の人でも理解することができるのです。

大学時代から公募展を通じて実力を認められ、画家としてデビューしたイ・ガンウク。彼の作品はギャラリーに展示された途端、売れていきました。最初は、作品が飛ぶように売れ、お金になるのがうれしく、不思議でした。しかし、イ・ガンウクは、心の中では何かを失ったような虚しさを感じました。韓国の美術市場が好況を迎えた時期には、作品が展示される前なのに、イ・ガンウク画家の作品というだけで買っていく人もいました。イ・ガンウクは作品を見ないで買ったということは、何も描かれていないキャンバスを買ったのと同じだと考えました。自分の絵が作品ではなく、商品になってしまったと感じたのです。



2ヶ月後、彼はイギリスへ向かいます。イギリスへ渡ったイ・ガンウクは、ロンドン芸術大学に入学します。しかし、学校には通わず、1年間、旅行をしながら、自由を満喫しました。1年が経った時、イ・ガンウクは誰にも強いられることなくアトリエに向かいました。そして、この大学で、ある教授から「君がなぜここまで来て絵を描いているのか分からない、君は何に関心を持っているんだ」という質問を受けます。この時から、画家イ・ガンウクは、自分に対して、「今、関心を持っていることは何か、自分はなぜ絵を描いているのか」という質問を投げかけました。その答えは、新作「ジェスチャー」の中に溶け込んでいます。



「ジェスチャー」は、画家にできる肉体的な行為、つまり、色を塗る、こする、混ぜる、拭き取る、点を打つなど、キャンパスの上でできるさまざまな行為によって完成させた作品です。数え切れないほどたくさんのカラーと多くのレイヤードを通じて、平面のキャンパスに無限の空間を表しています。キャンパスに花は見えませんが、華やかな色彩とグラデーション効果によってまるで花が咲いたように感じられます。抽象画家、イ・ガンウクは、さまざまな葛藤を乗り越え、新世界に巡り合ったのです。

抽象画家、イ・ガンウクは「有名な画家になるより、精神的にも肉体的にも健康な画家、責任を持って自分の作品と作業を続ける画家になりたい」と語っています。

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