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文化

「フィモリ雑歌、六七月」ほか

#国楽の世界へ l 2023-07-11

国楽の世界へ

「フィモリ雑歌、六七月」ほか
昔は、川でお魚を獲る、「チョンリョブ」という遊びがありました。渓谷や川岸でお魚を獲り、その場で料理をして食べます。春に田植えを終えてから、秋に収穫をするまでの間、比較的余裕のある夏の日に暑さをしのぐ遊びとされました。漁をするために冷たい水に足を浸すと、体が涼しくなります。獲ったお魚で作る料理は、夏バテにも効果があります。今日の最初は、気まぐれな天気の日に、お魚を獲るある男性に関する歌です。男性がお魚を獲っていたところ、子供が通り過ぎたので呼び止めました。このお魚をうちの家まで届け、おいしい料理を作っておくよう伝えて欲しいとお願いをしました。しかし、子供は、自分も仕事で忙しいから、できるかどうか分からないと、曖昧に答えるのです。歌はここで終わりますが、子供は、果たしてお魚を届けたでしょうか。昔の歌では、このように何かお願いをしても、相手が言い訳をするような内容がよく登場します。お願いばかりするのではなく、お魚でも分けて欲しいということなのでしょう。

チョンリョブは、直接水に入りお魚を獲って楽しむ遊びです。人の目を重視した上流階層ヤンバンは、暑くても服装を整えていたので、服を脱いで水に入りお魚を獲るということは、想像もできませんでした。精々、足を浸す濯足をするくらいです。濯足という言葉は、孟子の教えから由来しています。清い水には冠の結びひもを洗い、流れる水には足を洗うということです。ソンビが濯足をする際には、冷たい水で足だけを洗うのではなく、心まで清く洗い流すという意味があったようです。でも、自分はどうしてもお魚を獲りたいというソンビは、釣りをしました。今度は、釣りをするソンビの様子を表現した歌です。釣り竿をかけておいたものの、春の日差しが気持ち良いので、一人で踊っていたようです。すると、釣り竿と雨具が水に流されてしまったのです。そんな状況の中でも、ソンビは喜んで詩を謳いました。この余裕がソンビの風流なのです。今度ご紹介する曲は、居眠りをしていて、という意味のタイトルの歌です。

ソンビは、釣りをしてもお魚をたくさん獲ることにはあまり興味がありませんでした。お魚を獲るためではなく、世俗に対する欲と執着から逃れるための方法として釣りをしたからです。釣りを楽しむ人を指して、太公望と言うことがあります。太公望は中国周の政治家です。彼は一生釣りをしましたが、まっすぐな釣り針を使用したため、お魚は一匹も釣ることができませんでした。彼が釣り竿をかけていたのは、お魚を釣るためではなく、時間を釣っていたのです。昔のソンビが釣りをしたのは、太公望のような気持だったようです。中には、漁師を夢見るソンビもいました。ソンビにとって漁師とは、生業としてお魚を獲る人ではなく、世俗から離れ清らかに暮らす存在なのです。朝鮮時代中期の文臣、ユン・ソンド先生が書いた定型詩、時調(シジョ)を歌にした曲でした。霧の後、日差しが入ってくる春の日の朝、舟に乗って漁をしに行ってみようという内容の歌です。

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