軍事独裁政権時代の1987年6月10日から29日まで、全国各地で繰り広げられた反独裁民主化運動の「6月民主抗争」を記念する行事が10日、開かれました。
記念行事は、当時、人権弾圧の象徴と人々に恐れられたソウル南營洞(ナムヨンドン)の旧治安本部の対共分室を会場に行われました。
記念行事で挨拶した文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、「制度としての民主主義は整備されたが、国民全員が生活の中で民主主義を享受しているかについて振り返ってみるべきだ」とし、「民主主義が制度の枠を越えて、生活の中に浸透していかなければならない」と強調しました。
また、「政府も日常の民主主義を実現するために取り組む」とし、「民主主義がしっかり機能するためには、疎外されたところに目を向ける必要がある」と述べました。
当時、6月民主抗争のデモに参加した全泰壹(チョン・テイル)氏の母親の故イ・ソソン氏をはじめ、拷問を受けて死亡した朴鍾哲(パク・ジョンチョル)氏の父親のパク・ジョンギ氏、催涙弾を頭に受けて死亡した李韓烈(イ・ ハニョル)氏の母親のペ・ウンシム氏など12人には、民主主義の発展に貢献した功労を称え、国民勲章が贈られました。
文大統領は、記念式の後に、朴鍾哲氏が拷問を受けて亡くなった調査室に献花し、現在進められているの民主人権記念館の建設への支援を要請しました。
「6月民主抗争」は、1979年12月12日の粛軍クーデターを通じて政権を握った全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領の長期執権を阻止するために始まった全国的な民主化運動です。
1987年1月に学生運動に参加した朴鍾哲氏が治安当局の取り調べ中に死亡する事件が発生し、その後、拷問による死亡だったことが隠蔽されていたことが発覚すると各地で抗議デモが発生。6月9日には、延世大学の学生・李韓烈氏がデモ中に催涙弾を頭に受けて死亡したことで民主化運動は全国に一挙に広がりました。こうした事態を収束するために発表されたのが、大統領直接選挙制などを約束した「6・29民主化宣言」でした。