韓国政府は21日、世界文化遺産に登録されている新潟県佐渡市の「佐渡島(さど)の金山」で、戦時中に佐渡鉱山へ動員された韓半島出身者を追悼する独自の式典を行いました。
「佐渡島の金山」を世界遺産に登録する過程では、対象期間を江戸時代に限定したい日本側の説明と、戦時中の韓半島出身者に関する歴史的経緯も扱うべきだとする韓国側の主張が分かれました。
追悼式は「佐渡島の金山」が世界遺産に登録される際、韓国が韓半島出身者の強制労働を含む全体の歴史を反映するよう求め、日本側が毎年開くと約束していたものです。
しかし韓国政府は、遺族から、「日本側の追悼行事では韓半島出身労働者の動員に関する言及が十分ではない」との指摘が続いているとして、去年に続き、今年も独自の追悼式を行いました。
追悼式は佐渡市内のホテルで行われ、遺族7家族11人のほか、李赫(イ・ヒョク)駐日韓国大使が出席しました。
李大使は、「佐渡鉱山では、当時の朝鮮総督府の関与のもと、多くの韓半島出身者が本人の意思に反して動員され、過酷な環境で働かされた」と述べ、「その経験による苦しみは、遺族の心にも長く残っている」と語りました。式典では、当時の労働を強いられた先代の人生を思い返し、涙を流す遺族の姿も見られました。
一方、日本側が行う公式の追悼行事では、「韓半島から来た労働者」といった表現が用いられ、「強制労働」という言葉には触れない形となっており、歴史認識をめぐる見解の違いが続いています。また、ことし9月に日本の民間団体が主催した追悼行事でも、日本政府の代表は当時の労働動員の経緯について直接言及しませんでした。
佐渡鉱山は、太平洋戦争中に三菱鉱業が運営していた施設で、この時期に韓半島出身者が動員されていたことが日本側の記録にも残されており、1519人が働いていたとされています。