韓国外交部は31日、「外交文書の公開に関する規則」にもとづき、30年前の25万ページあまりにおよぶ外交文書を一般公開しました。
このなかで、1988年9月に当時の皇太子の韓国訪問について、外務省の事務次官が非公式な協議で、「早期の韓国訪問を期待していると韓国側に述べた」と駐日韓国大使が本国へ報告していたことが明らかになりました。
当時、韓国と日本は、盧泰愚(ノ・テウ)大統領の日本訪問について協議を行っていました。
韓国大使が報告した内容では、外務省の事務次官が「盧大統領の日本訪問が実現すれば、竹下首相との首脳会談で、皇太子の韓国訪問について意見を交わし、対外発表をしない方法などもある」と言及したということです。
皇太子の韓国訪問については、その前にも検討されましたが実現していませんでした。
一方、1988年11月に行われる予定だった盧大統領の初めての日本訪問は、当時、昭和天皇の容態が悪化し、延期されました。
昭和天皇は1989年に1月7日、逝去し、盧大統領は翌年5月に日本を訪れ、新たに即位した今の天皇と会いました。
当時、天皇は、盧大統領の日本訪問を歓迎する晩餐会であいさつし、韓日の過去の歴史について、「日本によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味あわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえません」と語っています。
韓国政府は、作成から30年が経過した外交文書を原則公開していて、外交部は1994年から、合わせて26回にわたっておよそ370万ページの外交文書を公開してきました。ことしは1988年までのものが対象となりました。