韓国戦争が起きた1950年、当時の李承晩(イ・スンマン)政権は、日本政府に対し、6万人規模の亡命政権を山口県に樹立することを打診し、日本が「韓国人避難キャンプ」をつくる計画を立てていたことが KBSの取材で初めてわかりました。
KBSの取材陣が山口県庁図書館で確認した文書「山口県史」によりますと、韓国戦争勃発2日後、日本外務省は山口県知事に、「韓国政府が6万人規模の亡命政権を山口県に樹立したいとしている」 と知らせ、可能かどうかを尋ねたということです。
これに対し、当時の田中知事は、「日本国民も配給が不足している状態であるため難しい」と答えましたが、しばらくして、韓国人5万人を受け入れる内容の「非常措置計画書」をまとめたということです。
李承晩政権の亡命要請に関する記述は、韓国戦争勃発から2週間足らずの1950年7月7日に作成された「アメリカ軍政記録」にも記されています。
それによりますと、田中知事は、山口県に20の避難キャンプを作り、臨時テント1か所に200人ずつ、合わせて250のテントに5万人を受け入れるという計画を立て、アメリカ軍政に提出し、予算の支援を求めたということです。
当時、山口県は「朝鮮情報室」という別途部署を設置し、韓半島の情報を詳細に記録した「朝鮮情報」という文書を総理など政府閣僚に報告していました。
当時、「朝鮮情報室」は、韓国戦勃発の2日前、北韓が韓国を侵略する危険があるという内容の報告書を日本政府に提出しています。