メニューへ 本文へ
Go Top

文化

明成皇后殺害現場の「乾清宮」 復元へ

Write: 2007-10-18 15:22:58Update: 0000-00-00 00:00:00

いまから110年前の1895年に日本の浪人が景福宮に侵入し明成皇后を殺害した現場である景福宮の最も奥にある乾淸宮(コンチョンクン)が3年間の復元工事を終えて、20日から一般に公開されることになりました。
明成皇后殺害事件は、三浦梧楼公使が、赴任直後の1895年10月8日の未明に、日本の浪人を宮中に侵入させて日本の意のままにならない明成皇后を殺害し遺体を焼却させた事件です。
乾清宮は1873年に朝鮮王朝の歴代王の肖像画などを保管する目的で建てられたもので、高宗と明成皇后の住まいとしても使われていました。
1909年には日本によって取り壊され、朝鮮総督府の美術館が建てられました。美術館は国立現代美術館として使われましたが、1998年に撤去されました。

おすすめのコンテンツ

Close

当サイトは、より良いサービスを提供するためにクッキー(cookie)やその他の技術を使用しています。当サイトの使用を継続した場合、利用者はこのポリシーに同意したものとみなします。 詳しく見る >