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ライフスタイル

李御寧(イ・オリョン)と日本

2022-03-02

玄海灘に立つ虹

ⓒ YONHAP News

文化部の初代長官を務め、「韓国を代表する学者」と言われた文学評論家でジャーナリストの 李御寧(イ・オリョン)氏が2月26日に亡くなりました。その死は日本のメディアでも報じられました。そして日本では特にその著書『縮み志向の日本人』について大きく取り上げられていました。

そこで 李御寧氏と日本の関係、そして彼の日本文化論を見ていきたいと思います。彼と日本との関係が始まったのがまさにその著書『縮み志向の日本人』でした。この本の誕生秘話が2016年6月の週刊朝鮮にでていましたので一部ご紹介します。

1973年、李御寧はフランスへの出張の途中、日本で3日ほど過ごすことになった。その際にたまたま知人に会いに行き、酒の席で日本人たちと同席することになった。当時『日本人とユダヤ人』という本が話題になっていた。それと関連して 李御寧はこんな話をしたという。

 もし道に宇宙人が落としたものが落ちていたとします。地球にはない品でした。それを拾ったのがフランス人なら目で確かめ、ドイツ人なら耳にあてて振って耳で確かめたでしょう。走ってから考えるというスペイン人ならまず足で蹴とばしてから中を見たでしょう。では日本人ならどうするか。その品をそのまま10分の1の大きさに縮小するでしょう、そして手の平にのせて『なるほど』と叫ぶのです

当時の日本のトランジスターラジオや手の平にのる大きさの計算機を念頭においたジョークでした。この席に日本の出版社「学生社」の社長がいました。そして社長は 李御寧の耳元で「先生、その話、本にしてみませんか?」とささやいたそうです』

それは日本語での執筆出版を勧めるものでした。李御寧氏は自分の日本語の実力は植民地時代であった小学生の頃に学校で習った程度で、とても本を書くほどではないと一度は辞退しました。その後、日本の国際文化交流基金の招きで東京大学の客員研究員として1981年から日本に滞在し、その際に本格的に『縮み志向の日本人』の執筆を行い1982年に出版されます。

発売後はベストセラーとなり5カ月間で16刷り、韓国語、英語、フランス語、中国語に翻訳出版されました。 李御寧氏はその後これまでに10冊以上の本を日本で出版しています。その中で現在手に入るのは1982年に出版され現在は講談社学術文庫となっている『縮み志向の日本人』と2005年に新潮新書で出た『ジャンケン文明論』です。

『縮み志向の日本人』はルース・ベネディクトの『菊と刀』と並ぶ外国人による日本文化論の傑作だと言われています。

それにしても縮み志向から始まり、2005年のジャンケンまで、 李御寧氏の発想は本当にユニークで個性的です。目の付けどころが違うなと感じます。

今回調べてみた驚いたのは『縮み志向の日本人』が最初から日本語で執筆された本で、日本で出版された後に韓国で翻訳出版されたということ。そしてその後も長い間、彼の著書が日本で出版され続けて来たということです。また一人、大切な知日派の文化人が亡くなりました。心からご冥福を祈ります。

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