第42回 アン・ソンギさん追悼特集 映画「鯨とり」
2026-01-21
安聖基さんは5歳で子役俳優としてデビューし、亡くなるまで一貫して「映画俳優」として生きた人物でした。
俳優人生はおよそ69年、出演した映画は170本以上にのぼります。
父親が映画プロデューサーだった縁で、5歳の時に 金綺泳(キム・ギヨン) 監督の『黄昏列車』で映画デビュー。
7歳で出演した『十代の反抗』では、サンフランシスコ国際映画祭で子役俳優に贈られるゴールデン特別賞を受賞し、早くからその才能を示しました。
中学時代の同級生には、後に国民的歌手となるチョ・ヨンピル がいます。
高校時代に学業専念のため一度俳優を離れ、浪人を経て韓国外国語大学ベトナム語科へ進学。当時はベトナム戦争の最中で、将校として赴任する道も考えていましたが、在学中に戦争は終結します。
大学卒業後、父の勧めで映画界に復帰。以降の歩みは、まさに韓国映画の歴史と重なっていきます。
■ 映画一筋の人生
1980年代、安聖基さんは韓国ニューシネマを代表する俳優として頭角を現します。
1980年『風吹く良き日』で大鐘賞最優秀新人賞、1981年にはイム・グォンテク監督の『曼荼羅』で修業僧を演じ、男優賞を受賞しました。
1984年の『鯨とり』、1985年の『ディープ・ブルー・ナイト』はいずれも大ヒットとなり、名実ともに演技派俳優としての評価を確立します。
1990年代以降は、知識人や中年男性、孤独を抱える人物像などを通じて観客の共感を集めました。
『ホワイトバッジ』『ツー・コップス』『太白山脈』『永遠なる帝国』など代表作が続き、1996年には日本映画『眠る男』にも出演します。
2003年の『シルミド』は観客動員1000万人を超える大ヒットとなり、「国民俳優」としての地位を決定づけました。
青龍映画祭、百想芸術大賞、大鐘賞の主演男優賞をすべて受賞するトリプルクラウンを達成し、その受賞数はいずれも歴代最多クラスです。
■ 善き人
安聖基さんは、テレビドラマや舞台にはほとんど出演しませんでした。
その理由について、彼はこう語っています。
葬儀には映画界のみならず各界から多くの人が参列しました。
中学時代の同級生だった趙容弼さんは、全国ツアーを控える中でも駆けつけ、出棺の日のコンサートでは安聖基さんが好んでいた『釜山港に帰れ』を歌いました。
明洞聖堂で行われた告別式では、長男の安ダビンさんが33年前に父から受け取った手紙を朗読しました。
その最後の一文は、こう結ばれていました。
「この世で最も必要なのは、善き人だ」
その言葉通り、安聖基さんは生涯を通じて「善き人」であり続けた俳優でした。
心よりご冥福をお祈りします。
2026-01-21
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