今、ニュースやインターネットで話題になっている人物、前からよく名前は聞いているけれども一体何をしている人物なのかよく分からないという人をマルコメの視線から3つのキーワードでご紹介していくコーナーです。
今日ご紹介するのは、先月ミラノ・スカラ座の次期音楽監督に2027年から就任することが決まった指揮者でピアニストでもあるチョン・ミョンフン(鄭明勳)さん、72歳です。
1.家族
チョン・ミョンフンさん本人もそうですが、その家族もとても有名です。
チョンさんは7人兄弟、4男3女の6番目に生まれました。この7人兄弟のうち3人が世界的なクラシックの演奏家として活躍しており、韓国では「チョン・トリオ」として知られています。
次女でチェリストのミョンファさん、三女でバイオリニストのキョンファさん、そして指揮者であると同時にピアニストでもあるミョンフンさん。この3人はそれぞれのソロ活動の他に、「チョン・トリオ」としても活動しており、コンサートを開いています。
この2人のお姉さんも有名ですが、一番有名なのが兄弟7人を見事育て上げ、音楽家、大学教授、医師、事業家に育て上げたお母さん、イ・ウォンスクさんです。
韓国ではこのお母さんをロールモデルにしているママたちがたくさんいます。
イ・ウォンスクさん自身は梨女子大の家事科を首席で卒業し、高校教師、大学講師としても働き、結婚して家庭に入ります。
しかし公務員だった夫の給料だけでは7人の子供たちを育てるのは大変だと、食堂を始めます。
ソウルの明洞で冷麺屋を開き成功しますが、その後、子どもたちに音楽の才能があると気づき、結局、1961年に家族そろってアメリカに移住し、シアトルで韓国料理店を開きます。
有名なエピソードが、ミョンフンさんが生まれる前、韓国戦争でソウルから釜山に避難する際に、ピアノを車に乗せて運んでいったといいます。ピアノを持って行っても避難先は狭く、ピアノを置く部屋などありません。それでもその家の軒下に置いて、そこで子供たちにピアノのレッスンを受けさせたといいます。そんな家庭環境の中で生まれたミョンフンさんも幼い頃からピアノを学び、7歳でソウル市交響楽団とハイドンのピアノ協奏曲を共演するなど、早くから才能を開花させました。
このお母さん、7人の子供を育てかつ韓国料理店もしています。てんてこ舞いで子供たちと過ごす時間もなさそうなものですが、こんな方針をたてたそうです。「父母の関心が必要な瞬間にその子のそばにいてあげるという重点主義」だそうです。
ミョンフンさんも7歳でソウル市交響楽団と共演するなど「ピアノの天才」だと言われましたが、青少年期にはピアノに背を向けて運動にだけ熱中したことがありました。
そんなときにお母さんは「なぜピアノを弾かないの」と言うのではなく、お店でもらったチップを貯めて月賦でグランドピアノを買ってあげたそうです。
またミョンフンさんは幼少時代からお母さんの韓国料理店を手伝っていたこともあり、大の料理好きで、日本の「音楽之友」誌上で『幸せの食卓』という料理に関する連載を行い、2006年にこの連載をまとめた「マエストロ チョン・ミョンフンの『幸せの食卓』―名指揮者が語る音楽と料理のレシピ集」が音楽之友社から出版されています。
2.ピアニストから指揮者へ
1967年14歳で当時暮らしていたシアトルで人生最初のピアノリサイタルを開きます。
そして翌年の1968年にはニューヨークに移り、71年にマネス音楽大学に入学、ピアノと指揮を学びます。そして1974年にチャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門に出場し第2位となります。
すでにこの頃から姉たちの演奏の際にピアノの伴奏を担当したり、「チョン・トリオ」としてブラームスやチャイコフスキーなどのピアノ三重奏曲などのレコーデイングもしています。
マネス音楽大学を卒業後の1974年にジュリアード音楽学院の大学院に進学し、本格的に指揮の勉強を開始します。
1978年にはロサンゼルス・フィルの指揮者のアシスタントとして入り、その後1980年に副指揮者となります。1984年からはヨーロッパを中心に指揮活動をはじめ、1990年にはロリン・マゼールの代役としてベルリン・フィルを指揮しています。
オペラ指揮者としては、1986年にヴェルディの歌劇「シモン・ボッカネグラ」でメトロポリタン歌劇場にデビュー。1987年にはフィレンツェ歌劇場の首席客演指揮者に就任しました。
1989年、パリ・オペラ座(バスティーユ歌劇場)に、初代音楽監督として迎えられます。
このパリ・オペラ座時代、晩年のオリヴィエ・メシアン(フランスの現代音楽の作曲家)と親交を持ち、メシアンの死後も、1994年に『コンセール・ア・キャトル』を世界初演するなど、メシアン作品の積極的な演奏・録音につとめました。1992年にはパリ・オペラ座での功績が認められ、フランス政府からレジオンドヌール勲章を授与されています。
では今回2027年から音楽監督になることが発表されたミラノ・スカラ座とはどんな縁があるのでしょう。
スカラ座のホームページによれば、「ミラノ市民から最も愛されているアーティストのひとりで、音楽監督以外で、スカラ座の国際的な名声に最も貢献している指揮者」「オーケストラ指揮者に加え、ピアニストとしても活躍するチョン氏は、1989年以来、ミラノ・スカラ座のシーズンやツアーに常に登場し、9つのオペラ作品を指揮、84回の公演と141回のコンサートに出演している。この点においても音楽監督を除けば、最多出演回数を保持する」ということです。
チョン・ミョンフンさんのピアニストとしての評価はテクニックに頼らずに、作品の精神性を深く掘り下げる演奏が特徴だといいます。
特にラフマニノフ、シューベルト、ドビュツシーなどで、感情の陰影を丁寧に描く演奏が得意です。
では指揮者としてのチョン・ミョンフンさんに対する評価はどうかというと、まずその誠実性が評価されています。
マーラー、ブラームス、ベートーヴェンなどの作品の精神性をじっくりと表現するといいます。また感情に流されすぎず、構造的でありながら熱を帯びた演奏がファンを惹きつけます。さらにリハーサルではオーケストラとの対話を重視し、同じ音楽家からの信頼も厚いと言います。
3.日本との関係
日本とはまず東京フィルハーモニー管弦楽団との長期的な関係があげられます。
2001年から2010年までは特別芸術顧問、その後も2010年から2016年までは名誉指揮者、さらに2016年9月以降は名誉音楽監督に任命されています。まさに東京フィルを代表する存在となっています。
また2015年12月に開かれた韓日修好50周年記念の演奏会では、東京フィルとソウルフィルを合わせた 総勢260人のオーケストラと合唱団が同じステージの上で ベートーヴェンの「第九」を演奏しました。 この演奏会は東京とソウルで開かれました。
東京フィル以外にも1998年9月にNHK交響楽団と初共演。以後、NHK交響楽団とは2000年、2008年、2011年、2013年の4回共演しています。
さらに海外のオーケストラやオペラの来日公演を指揮する機会も多いと言えます。
親日家として知られ、現在の天皇とは室内楽(主にピアノ四重奏、ミョンフンはピアノを担当)で度々共演しているといいます。
韓日ワールドカップ開催に際して「韓日の難しい過去を忘れるには勝敗を決めなければいけないスポーツより、音楽の美を共有する方が得策かもしれない」と語っていました。
また、「ソウル・フィルをアジア一のオーケストラに」との要請を受けて音楽監督に就任したソウル市立交響楽団では「アジア一の音楽都市である東京の聴衆を納得させられなければ、アジア一のオーケストラになることはできない」と主張して定期的な日本公演の実現を提案し、2011年の来日公演は「第1回東京定期公演」と銘打たれて開催されました。
そして韓日国交正常化60周年を迎えた今年、東京フィル とKBS交響楽団の合同演奏会が3月2日に東京で開催され、その指揮を振りました。その人生は音楽を通じて韓国と日本の懸け橋になっていると言えます。