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朝鮮総督府の建物が歩んだ歴史

2021-05-29

KBS WORLD Radio


1916年着工、10年後の1926年に完成した地上4階地下1階コンクリート造りの朝鮮総督府。朝鮮王朝の正宮・景福宮を覆い隠すように建築されたため日本の植民統治を象徴する存在となり、建築当時は、日本でも反対の声があがるなど論議を呼んだ。


ソウル市東大門区昌信洞。岩肌を露出した断崖絶壁は、かつて花崗岩を採掘した

官営の採石場の跡。朝鮮総督府の外壁に使われた花崗岩はここで採石され、路面電車を使って光化門前まで運ばれた。


ここで採石された花崗岩は、ソウル市庁舎、韓国銀行本店、ソウル駅舎など現在も残る近代建築の部材としても使われた。落石事故が多発し、現在は採石作業は禁止されているが、その眺望を楽しめる「昌信洞採石場展望台」は観光スポットになっている。


光復後は「米軍政庁」(1945~48)として、大韓民国成立後は「中央庁」(1948~80)として使われ、大韓民国憲法公布や政府樹立、毎年の光復記念日には国民祝賀式の舞台となった。その後は「国立中央博物館」(1986~92)として使用された。


金泳三政権は「日帝の植民残滓を清算し民族の精気を回復する」として、光復50周年の1995年8月15日、尖塔の切断式を行ない、解体撤去した。その残骸は、歴史教育の資料に活用するとして京畿道天安市の独立紀念館の敷地に展示されている。


「旧朝鮮総督府撤去部材展示公園」の日本語案内文には、「朝鮮総督府の残骸を粗末に扱う形で展示した。展示公園を太陽が沈む独立紀念館の西側に配置することで、日本帝国主義の没落と植民残滓の清算を強調した」とある。

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