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ピープル

韓屋研究所の所長、イ・サンヒョン

2017-02-14

韓屋(ハノク)研究所の所長、イ・サンヒョンさんは、10年あまり前から本格的に韓国の伝統家屋、韓屋について研究し、隅々までその構造を探るため、大工の仕事まで習った韓屋の専門家です。イ・サンヒョンさんが研究しているのは建築物としての韓屋だけではありません。彼は韓国人の暮らしと文化、価値観にまで影響を及ぼした韓屋の人文学的な面に注目しています。

大学で行政学を専攻したイ・サンヒョンさんは大学を卒業した後、韓国土地住宅公社に入社、家屋との縁を結びました。しかし、小説家を目指していた彼は、入社5年目に辞表を出し、会社を出ました。その後、文芸誌の新人賞に応募し最終選考まで残りますが、結局、作家としてデビューすることはできませんでした。そんなある日、ある企業の歴史をまとめた本の執筆を依頼され、ソウルの近郊、京畿道(キョンギド)竜仁市(ヨンインシ)にある民俗村を訪れます。民俗村で、イ・サンヒョンさんは自分が実際に暮らしていた韓屋が剥製のように展示されている現実を目の当たりにしました。長い間、韓国の家族を守ってきた住居、韓屋が生気を失い、博物館に展示された剥製のような姿でたたずんでいる光景に大きなショックを受けたイ・サンヒョンさんは韓屋について研究しようと決めます。韓屋について知るためには、実際に韓屋を建ててみなければならないと思ったイ・サンヒョンさんは、1年間、韓屋学校で大工の仕事を習い、建築現場でも働きました。基本をマスターした上で、その人文学的な価値に関する研究に取り掛かりました。



イ・サンヒョンさんの目に映った韓屋は自然と調和しながらも個性を失わない建物で、その中に人文学的な魅力と価値を秘めていました。彼が考える最も大きい韓屋の価値は疎通、コミュニケーションでした。韓屋の独特な造りが自然と人とのコミュニケーションを導き出すと考えたのです。

イ・サンヒョンさんは韓屋の中心にあるマダン=庭に注目しました。韓屋の門をくぐると、一番先に目に飛び込んでくる空間、マダンは家へ向かう通路であり、農機具を保管したり、穀物を干したり、キムチを漬けたりする生活空間でした。また、韓屋のマダンには平床(ピョンサン)と呼ばれる日本の縁台のような大きな木のテーブルが置かれています。この平床で、韓国の人たちは食事をしたり、家族や近所の人たちとくつろいだりしていました。かつては結婚式もこのマダンで行われていました。韓屋のマダンは韓国の共同体文化の中心にあったのです。

韓屋のもう一つの特徴はクドゥルです。オンドルという名称で知られる床暖房=クドゥルも韓国人の生活様式に大きな影響を及ぼしています。韓屋の部屋の床下、家の土台はクドゥルジャンという平たい板状の石を用いて築かれています。かまどで火を焚くと、その熱気が床下のクドゥルジャンに伝わり、家全体を温めることができたのです。韓屋のクドゥル、床暖房によって韓国に座って生活する床座生活が定着したのかも知れません。クドゥルは韓国人の食文化にも影響を与えています。韓屋の造りは発酵食品を作るのに適しています。たとえば豆を煮て作るみそ玉麹は温かいオンドル部屋で発酵させていました。それを軒先に吊って干し、庭先に設けられたチャンドク台の大きな瓶(かめ)で熟成させて韓国料理のベースとなるみそやしょうゆを作りました。韓国の人たちはお酒を醸造する時も韓屋のクドゥルを利用していました。このように、韓屋の独特な造りは韓国の食文化を左右する大きな要素の一つでした。

韓屋のもう一つの特徴は周りの自然に溶け込んでいることです。家の屋根の線を追っていくと、その先に裏山が見え、窓を開けると、野原に咲いた花やうっそうと生い茂った木々が部屋の中に飛び込んでくるように感じます。周りの景観を損なわず、自然と調和し、自然に抱かれるように設計された家、それが韓国の伝統家屋、韓屋なのです。

残念なことに、長い時間、韓国の人たちは韓屋の価値を忘れて生きてきました。時代の流れに伴って変化するしかなかった韓国の住居文化を見つめる韓屋研究所の所長、イ・サンヒョンさんの気持ちは複雑です。そして、今、イ・サンヒョンさんは伝統的な韓屋の復活ではなく、時代の変化に合った新しい韓屋の開発を目指して努力しています。

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