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ライフスタイル

第338話 韓国のジャージャー麺、チャジャンミョンについて

#アジュンマの井戸端会議 l 2015-02-26

玄海灘に立つ虹

第338話  韓国のジャージャー麺、チャジャンミョンについて
3月に新学期が始まる韓国では、2月に卒業式が行われます。
今でこそいろんなメニューがありますが、以前は卒業式が終わってから家族皆で食べるのはチャジャンミョンと決まっていたものでした。卒業式でなくとも、韓国の中華のもっとも大衆的なメニューで、全国にある2万4000あまりの中華料理店では、1日平均合わせて600万人前のチャジャンミョンが食べられているほどの人気メニューです。

チャジャンミョンは、1905年、華僑のウ・ヒグワァン(于希光)さんが、インチョンのチャイナタウンに、飲食店とホテルを兼ねた山東会館をオープンし、ここでメニューとして出されたのが初めだったとされています。1883年にインチョンのジェムルポ(済物浦)が開港し、外国の文物が入ってくるようになり、ウさんは清から伝わってきたチャジャンミョンをメニューのひとつとして出したのです。このときのチャジャンミョンは、麺醤(甜麺醤(テンメンジャン);中華甘味噌)を麺に混ぜていただくものでした。その後、貿易も盛んになり、チャジャンミョンも広く食べられるようになりましたが、1945年、植民地解放後、韓国政府は中国の商人に強い制裁を加え、中国との貿易を禁じました。収入源を失った中国人は韓国で飲食店、つまり中華料理店を開いて生計を立てるようになりました。チャジャンミョンがだんだんと韓国人の口に合うように変わっていったのもこの頃からだとされています。

チャジャンミョンの味の決め手は春醤(チュンジャン)と呼ばれる黒い甘味噌です。中国にはない、韓国のチャジャンミョンをつくるための味噌です。1948年、華僑のワン・ソンサンさんが、テンメンジャンにカラメルを加えてつくったもので、自身の食品会社を通じて販売しました。この「サジャピョ春醤」はいまでも80%のシェアを占めています。どこのお店でもチャジャンミョンの味にそう大きな差が感じられないのはこの春醤のおかげです。

ところで、お店の話に戻りますと、ウさんは1912年、山東会館を「共和春」に改めました。1911年に起きた辛亥革命で中国最初の共和国である中華民国が建設されたことから、その感激を名前に込めたものだったといいます。韓国で初めてチャジャンミョンが売られたところとして共和春の名は有名ですが、その共和春は1984年に廃業しました。いまでもインチョンのチャイナタウンには共和春という中華料理店がありますが、そこはチャジャンミョンのルーツである共和春とは関係のないところだそうです。

ちなみにチャジャンミョンのルーツである共和春だった建物は2006年、近代文化遺産246号に指定され、いまではチャジャンミョン博物館になっています(2012年にオープン)。チャジャンミョン博物館の入場客は、2013年は14万5606人でした。2014年には18万3885人に増えています。チャジャンミョンという名ひとつで、18万人を呼ぶ込むことができるほどの力が、チャジャンミョンにはあるのです。

チャジャンミョンは、統計庁が作成する消費者物価指数の品目のひとつで、それだけ庶民の生活と密接に関わっています。チャジャンミョンの値段は、1960年代には15ウォンでした。お米80キロが3010ウォンだった時代です。それが2014年には4500ウォン(統計庁の調査。ソウル基準)。50年間で300倍に値上がりしたことになりますが、チャジャンミョンの半分くらいだったソルロンタン(牛の肉と骨を煮込んだスープ)がいまは8000ウォンに値上がりしていることを考えると、政府の物価管理政策は功を奏しているといえます

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