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文化

「梵唄、ジッソリ、コリョンサン」ほか

#国楽の世界へ l 2023-05-23

国楽の世界へ

「梵唄、ジッソリ、コリョンサン」ほか

統一新羅時代の西暦804年、眞鑑(チンガム)禅師は、仏教を学ぶために唐へ行き、830年に戻ってきました。そのとき習ってきたのが、梵唄です。梵唄は、仏教の儀式で僧侶が歌う歌です。新羅ではそれ以前にも梵唄が歌われていましたが、新しく入ってきた歌の方が良かったようです。眞鑑禅師が暮らすお寺は、新しい梵唄を習いたがる人で混みあっていたそうです。そのときの梵唄が1000年以上の歳月伝わり、今日でも重要な儀式などで歌われています。もちろん、長い歳月を経て少しは変わりましたが、エキゾチックで特別な音楽に思わせる点は同じです。梵唄の特徴のひとつが、音を長く伸ばしながらも、高い音と低い音の変化が大きいということです。梵唄の中でも、「ジッソリ」という歌で、この特徴がよく表れます。


「ジッソリ」は、大勢の人がある行動をするとき共に歌うものです。お寺で大規模な祭祀を行うとき、仏堂が狭いので、庭に大きな仏像の絵をかけて儀式を行うことがあります。「コリョンサン」という曲は、この仏像の絵「クェブル」を庭に移すときに歌った音楽です。歌詞、「南無霊山会相(ナムヨンサンフェサン)仏菩薩」は、霊山(ヨンサン)に集まった仏と菩薩に従うという意味です。風流音楽として伝わっている「霊山会相」という曲も、もともとは「霊山会相仏菩薩」という歌詞を歌う声楽曲だったそうです。長い時間を経て歌は無くなり、関連した多様な曲が作られ、今は9曲の組曲として伝わっています。その中に、「念仏ドドゥリ」という曲があります。最近よく演奏する「念仏ドドゥリ」は歌がありませんが、近頃、歌詞をつけて新しく編曲した「念仏ドドゥリ」ができました。「南無阿弥陀仏」という、よく知られている念仏を歌います。


仏教の経典は、ほとんど漢文や昔のインド語サンスクリット語になっているため、普通の人は念仏を聴くだけでは意味が理解できません。そのため、大きな儀式が終わる頃になると、僧侶が仏教の教えを誰でも理解できるように韓国語で解釈して歌います。そのような歌を、「回心曲」といいます。心を回す、戻すという意味です。怠けて放蕩になりがちな気持ちを取り戻し、仏の教えてしたがって正しく生きるようにという意味です。歌詞が簡単で、梵唄とは違い民謡のような歌い方なので、親しまれたようです。お寺の儀式だけでなく、専門の歌い手の公演でも歌われたものです。この歌は、人の誕生と死を歌っています。今この歌を聴いている人がどれほど尊い命なのかを悟り一生懸命生きるように、そして、地獄に行かないために生きているうちに正しく生きるように、という内容です。

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